前回の続き
この本を読んでみたら
つーか読んだ方がいいよ
そんなふうに言われているような
暗示的な現象が起こったので
偶然と言われれば偶然
それに従ってみようと
手に取った久しぶりの三浦綾子さんの本
そこに書いてある内容が
衝撃的でドンピシャな内容だったので
まだ全部読んでいないのに
そんなことを前回から書き始めました
三浦綾子さんと僕①
執着するとかしないとか
どこに衝撃を受けたのかというと
執着の部分
与えられたものを大切に扱い
失ったものを嘆かない
これが執着しないということなのだ
ここを読んだとき
衝撃でした
この文章だけ読むと
そらそうよねーみたいな軽く流しそうになるのですが
三浦さんのパートナー光世さんの言動が
この文章に重さを与える
光世さんは三浦さんの本の中によく出てきますが
三浦さんにとても影響を与えた方なんだなというのがよくわかる
お気に入りの背広を盗まれたクリーニング屋さんに対して
『責めてはいけない
弁償などさせてはいけない』
こんなこと
なかなか言えるものではない
少しでもミスがあれば
それに乗じて事を起こす世の中
自分はそんなこと言えるのだろうか
そう思うわけであります
そして最後の三浦綾子さんの一言がとてもいい
『自分が誇りうると思っていた着物への無関心も
実は内容を伴わない無関心であることを思い知らされ
いささかわびしくもあるのである』
まぁなんと味わいある文章なのでしょう
過去現在未来
なぜともぞーが
ここまで衝撃を受けたかというと
執着するから悩み苦しむ
こんな言葉を知っていたから
過去 現在 未来
ここに執着するから悩み苦しむ
過去にこんなことがあったから
そんな思いが悩み苦しませる
未来はこうあるはずだから
そんな思いが悩み苦しませる
今思い通りにならないから
そんな思いが悩み苦しませる
以前も少し書きましたが
過去にはほぼほぼ執着しないともぞー
これからもっともっとすごいはずだ
そんな未来への執着がありましたが
そんなんもはずれて楽になりました
そして現在
そんなに執着していないと思っていましたが
この文章を読む限りめちゃくちゃ執着している
自分が関心のあるものはもちろん
自分が関心がないものに対しても
与えられたものを大切に扱っているか
失ったものを嘆いていないか
そんな執着に対する考え方を教えていただきました
三浦綾子さんについて書かれた文章を読み
紹介されていた本を購入する
購入して放置していた本が
目の前に落ちてくる
違う本でたまたま開いたページが
三浦綾子さんのエッセイ
そら偶然といえば偶然よ
そんな偶然を
生かすか生かさないかも自分次第
ともぞー
今回少しは活かせたようですね
あんたよかったね