これは何かの暗示?
何かの拍子に本が落ちてきた
その本は先日購入した三浦綾子さんの本
この本は紙の媒体では絶版のようで
先日ネットで探し購入したやつです
この本を紹介している文章を読んだので
買ってはみたのですがとりあえず置いといたのです
それが何かの拍子に落ちてきた
ほうほう
読みなさいってことかなー
と思いつつ
たくさんの人が書いている別のエッセイ集を手に取り
そのあるページを開くと
なんとそこも三浦綾子さんのエッセイ
ふむふむ
これは何かありますねー
ってことで
読み始めました
実は三浦綾子さん
大学時代にハマったことがあって
氷点だったか塩狩峠だったか忘れましたが
そこから始まり結構読みました
内容も忘れていますが
こんな考え方があるんだ
と感動し近所の教会まで行ったことも覚えています
入信はしていない
この本
まだ全部読んでいませんが
三浦綾子さんの日常生活における
日々の思いを書かれたもので
うんうん
と読めてしまいます
あらためて
この方の文章が好きなようです
そんな三浦綾子さんと僕ですが
『何を着ようと・・・』と言う文章を読んでかなりの衝撃
紹介しますね
少し文章などは変えているところがあります
何を着ようと
三浦綾子さんは
服装には無関心のようで
女学生時代にも
スキーのズボンを履いてその上にスカートを履いて通学していたよう
同級生なんかはその話を面白おかしく話してくるらしいのですが
ご本人は言われてもピンとこない
まずもって
そんな姿をしていることすら覚えていないと言う
人さまからいただいた高価なお召し物も
あまり気にせず母や姉にあげたりする
欲がないね
そう言われることもしばしばですが
本人的にはただ頓着していないだけのようで
着るものに執着しない
それは長所だと思っていたようだ
でも実は違うのではないか
大事なことは与えられた着物は大事に着ながら
しかもそれに執着しないことではないか
そう思わせるエピソードが紹介されている
三浦綾子さんの夫はとても着るものを大事にする人で
きれいに着こなすし大切に扱う
そんな夫の背広をクリーニングに三浦綾子さんが出したのですが
待てど暮らせど出来上がらない
電話をしてみると一言
盗まれたとのこと
色合いや生地などとても上質なもので
三浦綾子さんはとても惜しんだ
謝りにも来ないクリーニング屋さんに対し
弁償させなければと憤慨
何より着るものをとても大事にする
夫に申し訳が立たない
さぞ落胆するだろうと恐る恐る夫に伝えると
『クリーニング屋さんを責めるなよ
弁償などさせてはいけない』
とクリーニング屋さんを責めることもなく
あの服は惜しかったと言うこともなかった
執着しないとはこういうことなのだ
与えられたものを大切に扱い
失ったものを嘆かない
さらに三浦さんはこう言う
着るものだけでなく
衣食住の現実的な目に見える生活の中で勤勉に注意深く生きながら
それらに決して執着することなく
<中略>
自由な従順な生き方こそ真に大切なのである
自分が誇りうると思っていた着物への無関心も
実は内容を伴わない無関心であることを思い知らされ
いささかわびしくもあるのである
ー紹介終わりー
とまあここまで読めば
わかる人にはわかると思いますが
長くなりましたので続く