執着が苦しみを生む
過去への執着はほぼほぼないですが
未来への執着はかなりあります
ちなみに現在は堕落してる時があります
ほうほう
そうなんですね
ちなみにね
これはともぞーの話
自分語り
小林正観さん曰く
悟るのは3秒でできる
過去の全てを受け入れ
現在の全てを受け入れ
未来の全てを受け入れる
これだけでいいんです
こんな言葉を知ったのは
30代前半の頃
その時は
おーそうなんだ
いいことを知りました
的な感じだったのですが
体感を伴わない感じ
受け入れようとしてもがく
どちらかと言うと
受け入れなくてはいけない
そんな感じでもがいていたように思います
でね
ともぞーが苦しんでいたのはおそらく未来
未来はもっともっとこうなるはずだ
そんな思いが強く
でもそうなっていない現実との乖離で悩み苦しむ
でもそこは受け入れないといけない
みたいな感じでした
未来は全て決まっている
アガスティアの葉って知ってる?
紀元前3000年ほど前に書かれた予言書らしいんやけど
400万人ほどの運命が描かれているらしい
本当か嘘かは分かりませんが
実際その通りになっている人がいることは事実のようです
同じようなものでバラドアジャの予言ってのもあるらしい
それとかね
人によっては死相が見える
そんな人もいるらしい
ピンピン元気で死にそうもない人に死相が出て
これは違うのだろうと思っていたところ
交通事故でその人が亡くなった
本当か嘘かは分かりませんが
そんなことが見える人もいるらしい
何が言いたいか
人の運命って決まっているんだってこと
これは真偽を説いているのではなくて
ともぞーが『そういうことなんだ』と腑に落ちたってこと
であるならば
未来に執着してもしょうがない
自分の未来ですらそうなのに
他人の未来なんてもっとそう
未来に執着してもしょうがない
悟りとは平気で死ぬことではない
平気で生きることである
とは正岡子規の言葉
肺結核から脊椎カリエスになり
凄まじい激痛を伴う病状の正岡子規
腰から下が全く動かせなくなり
朝になると痛みで目が覚め大声で泣き喚く
狂人になった方が楽
死ぬことができればそれは何よりも望むこと
そんな状況の中の言葉らしいので
尚更重みが違う
いつ死んでもいいんだ
ではなく
いつ死んでもいいからこそ
今を平気で生きる
それが正岡子規の言葉
自由な生き方とは
与えられたものを大切にし執着しないことである
とは三浦綾子さんの言葉
執着しないことと無関心は同じではない
そんなことも言われていました
きっかけなんてなんでもいい
真偽なんてどうでもいい
自分のココロのブロックが外れる瞬間なんて
そんなものです
こんなともぞーですが
もちろんこうなったらいいよねー
ってのはありますし
未来は悪いようにはならない
そんなふうに思えるから
平穏無事暮らせているのもあります
過去に執着しない
未来に執着しない
この2つは
なんとなくいけた気がする
あとは現在
今への執着ですな
これができれば
いわゆる『悟り』や『解脱』の境地になるのかな
またそんな時期が来ることを楽しみに
毎日を楽しんでいきましょうかね